一隅を照らす

今日は「はつみ」のコラムです。

 

 

一隅を照らす

 “国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に故人言く「径寸十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則ち国宝なり」と。”

大意:国宝とは何でしょうか。宝というのは道心です。道心のある人が国宝なのです。昔の中国の人が言っております。「直径一寸の珠が十個あっても国の宝ではない。一隅を照らす人こそが国の宝である。」

 

これは天台法華宗年分学生式の冒頭である。駒込の教育理念でもあるこの「一隅を照らす(Light Up Your World)」は天台宗を開いた伝教大師最澄が求めた理想的人間像を書いた山家学生式に由来すると云われている。

 

その山家学生式には、自分のことは後回しにし、世のため人のために尽くす忘己利他の心を持つ者こそ一隅を照らす事のできる人間、国宝だと書かれている。

 

そんな人がいるのかと思うが、宮沢賢治の代表作『雨ニモマケズ』がこれに近いという事で賢治心経など呼ばれ親しまれている。この詩で宮沢賢治がなりたい‘欲ハナク決シテ嗔ラズイツモシズカニワラッテヰル’者、この状態は空であり、‘ジブンヲカンジョウニ入レズニ’これが空である。この詩で賢治は自分のことは言わず他人の事ばかり考えている。しかも‘デクノバウ’になりたいとも言っている。これはただの木偶坊ではなく仏、菩薩ではないかと言われている。

 

ちなみに平家物語の冒頭“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”も無を表している。空や無などつまり全ての象徴は般若心経なのだ。

 

天台宗には1200年以上の歴史があり、天台宗を学べば仏教全体がわかると言う。慈鎮和尚の有名な歌に“世の中に 山てふ山は 多かれど 山とは比叡のみ 山をぞいふ”がある。昔は花といえば桜、山といえば比叡山を指した。それだけ比叡山は大きな存在のある山なのだ。

 

今月末、私たちはその由緒ある比叡山に行く。きっと大変だと思うが2泊3日修行に励み、少しでも一隅を照らせる人間に近づけるように頑張りたい。

 

参考文献:講談社 一隅を照らす

天台宗泉蔵院天台宗のおしえ

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