嫌いだったもの

このテーマで文章を書くのは3回目?

 

だが、嫌いだったものがあまり無いので何を書こうかと考えた時に、苦手だったものならたくさんあるなあと実感する。なので、今回は苦手だったものについて少し書き起こしてみようと思う。

 

 

学生の頃、子供のことが本当に苦手だった。周りの女の子たちが「かわいい」と言うのを聞いていて、子供のどこがかわいいのか理解できなかった。赤ちゃんは確かにかわいいと思うが、子供は騒がしいし何を言っているかよくわからないし口が悪くて生意気なイメージしかなかった。こんなことを言うと私のイメージが悪くなってしまうが(笑)、本当にそう思っていた。

 

 

そんなイメージが変わったのが、大学時代のアルバイトだ。 私は高校の卒業式のすぐ後から、公文の教室でアルバイトを始めた。公文のスタイルは塾のように1対1でつきっきりで指導する訳ではなく、子供が解いたプリントを受け取って採点して返すと言うものである。子供嫌いの私がなぜそんな子供の塊のようなところでアルバイトを始めたのかは、母の影響だが、単純な採点のアルバイトだし子供とはそんなに関わらないと思っていた。甘かった。教室の中で走り回ったり(1、騒がしい)、宿題をやってこない言い訳をする(2、何を言っているかわからない)、問題にケチをつけてくる(3、口が悪くて生意気)、やはり苦手だった。

 

 

女の若い先生と言うだけで幼児の指導に回された日にはお手上げだった。笑いのツボもわからなければ、幼稚園のお友だちの話も分からなければ、話の途中でトイレに行きたいけど1人でできないと言われた。パニックでしかなかった。

 

 

それでも不思議なもので、慣れてしまうのである。「教室は走らないよー」と注意できるようになり、子供も学校の宿題や習い事が忙しいことを理解できるようになり、子供の指摘に「確かにこれは問題が悪いな」とか「この問題を読んでそんな風に思うなんて鋭いな」と考えられるようになった。幼児に対しても、ツボはわからないがこんな些細なことで大喜びしてくれるなら良かったと思えたし、楽しそうに話しているのを聞いて内容はわからないが楽しかったんだなあと言うことだけは伝わってきて嬉しくなったし、一緒にトイレに行って便器に座らせてあげることもできるようになった。戻ってきて拙い言葉で「ありがとう」なんて言われたら、何十回でも一緒にトイレに行こうと思えた。

 

 

思い起こせば、アルバイトを始めるまで私は子供と向き合う機会がほぼ無かった。今は本当に子供が好きだし、心から子供が可愛いと思える。元気で生意気なのだって愛嬌である。たまに礼儀やマナーがなっていない子供を見ると叱りたくなることもあるが、それでもほとんどは可愛い。苦手だと決めつけないで向き合うことで、どこかに解決の糸口があり、得意になれる。物事は考え次第だと学ぶことができた。今私に苦手なものがほとんど無いのもそのおかげだと思っている。

 

 

長田

コラムどうもありがとうございます。

 

言いにくいけど、長田はちょっと苦手です。

いや、数時間ならなんとかしますが、

毎日はちょっときついかな・・・。

どうやって興味・関心を持たせるか。

だれか教えてください。

 

 

 

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