やんゆ。3

今回はやんゆのコラムです。

 

 

 

 

吹奏楽部の夏

 夏は運動部ならインターハイなどがあるが、文化部はコンテストやコンクールがあったりする。それは吹奏楽も例外ではない。僕はこれから吹奏楽部の夏について少し話していこうと思う。

 

まず夏が始まっていきなり硬式野球部の東京都予選がある。吹奏楽部はそこで応援演奏をするのだ。有名な曲でいうとxjapanの紅やピンクレディーのサウスポー、これらのような曲を多数演奏する。しかし東京都予選では打楽器は基本的には使用禁止で、せいぜい持っていけるのはメガホンやタンバリンである。

 

 

しかし二年生になると前に出てスティックでカンカン叩きテンポキープをする。いわば指揮者のようなものである。これが結構辛い。打者がどんどん変わり、ヒットを打ったり点を入れたりしても曲が入るので、その指示を出すのがとにかく大変だった。しかしコンクールに向けたいい練習にもなるので、あまり嫌だとは思わなかった。何より曲が楽しいし、野球部に勝ってほしい一心なのでとにかく必死に頑張った。ちなみに高校野球の面白さを僕はここで知った。

 

 

次にあるのが吹奏楽コンクールである。特にうちの学校にとっては年に一回の貴重な賞レースで、全国の吹奏楽部員にとって最大の大会である。ここでは色々な部門があり、東京都はA部門(最大50人)、BⅠ部門(最大35人)、BⅡ部門(最大30人)、C部門(最大20人)と分かれており、A部門は都大会、全国大会と上に続き、BⅡ部門は東日本大会に続く。うちの部はBⅡ部門にて出場した。

 

 

僕は練習の間色々と悩んだり考えたりした。僕は打楽器パートのリーダーなので楽器運びのとき何処かで事故が起こった、後輩への楽器の割り振りがしっかりできてなかった、そういったことは全て僕の責任となる。その責任の重さに頭を抱えた。しかも自分の技量も未熟であり、他の二年生二人も留学帰りで技量が充分でなく、先輩としてのプライドはズタズタだった。しかし音楽なら頑張れるという一心で一生懸命に練習し、何とか人前に見せるレベルには達した。

 

 

そしてコンクール当日、打楽器パートは基本的に当日は他の楽器の人たちと別行動だった。僕はパートリーダーとしてパートのメンバーに緊張しないよう伝えたが、一番緊張しているのは僕だった。ステージに出てみると、緊張と不安で調整のときも手が震えてた。

 

 

しかしいざ演奏してみると、目立った失敗もなく、とくにソロを乗り越えたあたりからはハイ状態になりとても楽しかった。

 

 

終わってから結果発表の時間までは結構あったので、同じ会場の別ホールで行われている、強豪揃いのA部門の演奏を聴いていた。

 

 

吹奏楽コンクールの賞は金賞、銀賞、銅賞の3種類があり、それぞれその日のその部門の約三分の一ずつに配分される。うちの部活は銀賞だった。後で点数と順位を照らし合わせてみると、その日のBⅡ部門で12校までが金賞だったのだが、うちの部活は13校目だった。それを知ったときは悔しかった。しかし後輩達には金賞を取ってほしい。そのためにはしっかり残せることを考えて行こうと思う。

 

 

吹奏楽部の夏はとても充実していた。しかも今年は玉蘭祭実行委員&副委員長でありそこでの仕事も山ほどあったしこれからもある(そこの話はまた別の機会に)。今年はこの17年で一番充実した夏となった。

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