やんゆ。4

今回はやんゆのコラムです。

 

 

責任

 

僕はそのときTwitterを開いていた。そこのタイムラインで目に飛び込んできたのは、文化委員をやるやらないだのといったやりとりだった。僕はそこで文化委員について(楽しそうだなあ)という印象を受けた。そして僕は文化委員をやることにしたのだった。

 

 

四月ごろ部活の時間に文化委員をやる話を持ち出すと「いやそれはやめて」と言われた。文化委員をやると部活の時間抜けるから迷惑だろうという理由で怒られるからということだ。今考えるとこっちの知ったこっちゃない(ただし自分の全うすべきことは絶対にやる前提)ことだったが、そのときは真に受けてじゃあやらないと言ってしまったのである。

 

 

しかし数日後、10組の井上さんにどうしても人が足りないから文化委員をやって欲しいとのことだった。しかしそのときはすでに文化委員をやらない前提でクラスの方から玉蘭祭に貢献しようと、クラスの副委員長になった直後だった。僕は部活とクラスとの兼ね合いを考え、かなり悩み抜いた末に井上さんにはいと言ったのだった。

 

そして僕は玉蘭祭実行委員門制作局員、2-9副委員長、吹奏楽部パーカッションパートリーダーの三つの肩書きを背負うことになった。

 

 

夏休み、前述のコンクールが終了すると僕はすぐに玉蘭祭モードに切り替えた。コンクールで演奏が終わり結果発表までの待ち時間の間、染谷から門制作の予算が足りないとのLINEが入った。それを念頭に入れつつ、染谷が帰省していたのでクラスに2日?くらい行ったあと僕は4日の休みを貰えた。その後門制作の方で材料費について話し合った。その結果なんとか収まった(というより二万くらい余ったかな?)ので、材料が届くまではまたクラスの作業を手伝った。

 

 

そこで何人かの人と飲み物について話し合った。色の変わる飲み物はどうしようかと松井と相談していた。BTBや紫キャベツのこし汁などが、保健所的に安全なのかを調べながら何か無いかを探したところ。松井が紫の食用色素を見つけた。紫の食用色素は天然由来で指示薬の性質も持つとのことだった。実はあのミラクルサイダーの原案者は松井だったのである。

 

 

僕はすぐにハンズで注文して届けてもらった。そして僕がそれを応用させてミラクルサイダーという形に完成させただけである。よって松井には本当に感謝しなければならない。

 

 

模試が終わるか終わらないかの時期から玉蘭祭実行委員門制作局での作業が連日行われた。屋外で慣れないノコギリを使って木を切り、ミリ単位で精密に木の長さを測ったりする作業は結構大変だった。木材を測って切ってするだけだと、門がどう完成するのかもわからなくとても不安だった。しかし夏休み後半の期間は、講習→門→部活→門が基本の一日のパターンだったので少ない作業時間で頑張るため頑張ってやらせていただいた。

 

 

そしてそのパターンは授業が始まっても続いた。帰りのHRが終わると、門(部活自主練)→部活→門という形で、部活で技量的に間に合わないところがあった場合、部活の前に自主練を入れていた。たまに延長が出てなくて、門のところに行ったら終わってたことがちょいちょいあって、そのときは貢献できなかったと考えると地味に悔しかった。

 

 

家では時間があったので、当初は4step又は吹奏楽部の方で楽器配置や使用楽器についてまとめたり、高文連地区委員関係の仕事をしていた。しかし文化祭直前になり、去年パンフレットを作ろうとして作れなかったことがあったので、乾に相談したところ人を募ってパンフを作る役目を貰ったので、クラスでも貢献できると考えると思うと嬉しかった。

 

 

しかしこれはとても大変だった。裏に豆知識をコラムのように載せようと思ったが、時間がなかったので皆にそのコラムを考えてくることを強制とした。すると皆すんなりと僕にそれを出してくれて、結局出さない人や出せない人もいたが、かなり助かった。2年9組の皆さん、その節はありがとうございました。

 

しかしそれでも作業は連日夜遅くになり、しかも吹奏楽部がシルバーウィーク中にリハができなかったので、ステージの表を直前に作らざるを得なかった。そのため本当に夜は連日大変だった。

 

 

そしてシルバーウィークが明けると、もう僕は第一音楽室、2-9、門制作と色々な場所を駆け巡り仕事をした。特に前日は保健所に電話をしてミラクルサイダーが提供可能なのかの最終確認をとり、その作り方を人に伝え、吹奏楽部でステージリハをやった。特に門制作は夜の10:30までかけて、皆で雨が降ってびしょ濡れの中で作業をした。前日になりハプニングもあって一時はどうなるかとも思ったが、当日の朝になんとか完成した。

 

 

そこの場で残ってくれていてくださった長田先生、細野先生、夜食やその他の差し入れをくださった川上先生、雨カッパを用意してくださった教頭先生、本当にありがとうございました。その後家に帰り、皆んなのコラムを画像化してパンフレットに貼り付ける作業を、仮眠を、計1時間くらいとってほぼ徹夜の状態で玉蘭祭当日を迎えた。

 

 

この日は雨は降らず過ごしやすい良い天気となった。僕は朝少し確認を済ませ、先ず部活の方へ行った。しかし吹奏楽部コンサートは今までの楽器人生初の全曲しっかりミスという形になってしまった。特に初っ端とコンクール曲は散々だった。理由は人員や楽器の配置が不適材不適所であったこと、徹夜明けだったこと等たくさんある。詳細は後でしっかり部活で反省する。

 

 

その後委員の方のシフトについた。なるべく大声で叫び、アンケートへの協力を募った。次の日も同じような感じで、土曜日はよく寝れたので部活の方は昨日よりマシとなった。そして最後を迎えたが、9組、吹部ともに入賞できなかった。吹部の方はともかく、9組が入賞しなかったのはとても悔しかった。

 

 

全体的な感想を言うと、とにかく充実した日々だった。ノコギリで木を切り、楽器を演奏しながら飲み物を作り、紙に色を塗りパソコンと格闘する日々は今後一切こないだろう。確かに忙しかったし疲れたけど、それ以上に充実して楽しかった。

 

 

また人間関係の輪も広がった。生徒会や実行委員の人等、たくさんの人と話すきっかけができ、少しずつ積極的な性格になっているのかなと自分で感じている。

 

 

そしてパンフレットを作りミラクルサイダーの開発をする際の「責任」、吹奏楽部でのパーカッションパートリーダーとしての「責任」、玉蘭祭実行委員門制作局員としての「責任」、今年の書き初めで書いた責任という言葉の重みをしっかり感じて生活できたと感じた。

 

 

この経験は今後の受験を含めた人生で絶対に糧になるもので、特に責任を全うすることとコミュニケーション能力の向上はいい経験になった。

 

本当はもっと書きたいのだが、頭の中で整理しきれないので、とりあえずここで終わりにしておく。

 

最後に2年9組、吹奏楽部、玉蘭祭実行委員(特に門制作)の方々、そしてお菓子を提供してくださった今井さんに、たくさんの援助をしていただいた先生方特に長田先生、本当にありがとうございました?

(ちなみにこの時点でセンターまであと475日。僕はこれを書き終えたら一問でも問題を解くために4stepを開くだろう…)

 

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