運と縁と恩と感謝

『人間万事塞翁が馬』は中国の故事で

国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬であったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどであったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。

 

すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのである。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿であり、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。

 

 

それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。

 

 

それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に借り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという。

 

 

という話(ネットから引用)で、要は人間いい事もあれば悪いこともある。だから悪いことが起きてもそんなくよくよせず、幸せなことがあっても浮かれるなという教訓である。

 

 

 

長々と待たせて申し訳ありませんでした。

いよいよ私が駒込に就職を決めた契機を書きたいと思います。

講師2年目の採用試験はなかなか厳しかった。専任試験は全て落ち続け、UG終了後の非常勤講師は、KJに決定するも聖学院との時間調整が折り合わず、ご破算になってしまった。3年目も「SGとトーマスかぁ。まぁSGの採用試験もあと1年だし我慢するかな」と思っていた3月下旬にそれは起こった。

 

上智大学の就職指導部の「たけはら」さんが

「駒込高校が専任教諭の募集をしているわよ」

と家に電話をしてくれたのだ。

 

私は大学4年生のときには毎週、卒業してからも一月に一度は上智大学に足を運び、教員採用の募集の掲示をみていた。それだけ頻繁に通っていたのもあっていろいろと話をするようになっていたのだったが、電話までしてくれたのはこのときが初めてだった。

翌日上智大学に赴き、募集告知を読むと締め切りが明日だったので書類をすぐに準備し学校に向かった。正直この日まで駒込高校という学校が存在することさえ知らなかった。

 

駒込の採用試験では私を含め5人いた。仲良く話をしている人がいたので、きっと駒込で講師をしている人なのだろうと思った。試験は専門科目と小論文、そして面接だった。正直、講師の人が選ばれるだろうと思ったが私が運よく採用になった。どうして採用されたかはそのとき面接官だったなかざわ教頭に是非ともお聞きしたいところだが、個人的には熱心に指導するところをアピールできたからだと思う。「(教員の)自主的な勉強合宿にも参加しますか」と質問され、「何事にも懸命に頑張ります」のような発言をした記憶は今でも残っている。

 

ということで、私が駒込高校で教師をしているのも、

上智大学職員の武原眞理子さんの一本の電話だったのだった。

 

埼玉件の採用試験には鉄棒が試験科目があったから、公立の教員を諦め・・・

「たけはら」さんからの電話で急遽、駒込学園を受けたら受かってしまい・・・

 

人生って何が起こるか分からないなあって、本当に思います。

 

運と縁は大切にしないといけないね。

そして、恩と感謝を忘れてはいけないね。

 

いや、本当に。

 

武原さん、20年前は本当にお世話になりました。

武原さんからの電話で繋がった、駒込学園での教員生活

非常に楽しく、毎日充実して、楽しく送っております。

 

 

コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。