9月23日。駒込の卒業生と5人出会った。
長田はたまに卒業生のコラムを書くのだが、
5人とも書いたことがあった。いやぁ~奇蹟だね。
ということで以前書いたコラムを加筆修正しながら
紹介文を掲載する。
今回は「あやね」
努力をしない
現在社会人三年目で女子バスケットボール部部長だった「なつみ」という生徒がいた。私は彼女を1,2年生のときに担任したのだが、「なつみ」を一言でいうと“努力家”。体育祭のシャトルランも中学時代を通じて5連覇(高2はインフルエンザ蔓延のため体育祭は中止)を果たした。大学も高校1年次に定めた御茶ノ水女子大学への進学を果たした。
そんな「なつみ」がお茶の水女子大を目指した理由、本人がオープンキャンパスに行って気に入ったというのもあるし、私が勧めたというのもあるが、どちらにしてもそのキッカケを作った『あやね』という先輩の存在が非常に大きい。
「なつみ」は学級通信の作文で『あやね』先輩を尊敬していることを書いていた。残念ながら『あやね』が高校3年のとき、「なつみ」は中学3年だったので同じチームでプレイすることはなかった。だから3者面談で「「なつみ」と『あやね』が同じ大学で一緒にプレイしている姿が見たいなぁ」と言って私は御茶ノ水を受けるように勧めたたら見事に合格した。7年前、2人が出ている試合を見に八王子まで行ってきたが、揃って出場した時間が5分弱。苦笑。 9月に再び観戦に行った。
さて、そんな「なつみ」が尊敬している『あやね』を私は高校2年のときに担任した。頭がいいのはすぐに気付いたが、懸命に勉強している姿を全く見かけなかった。夏の勉強合宿中には“どうやったら筋肉をつけることができるか?”ということを休憩時間中に私に相談してきた。冬の勉強合宿中も夜の自習が終了した深夜1時ごろに“バスケでシュートの精度を上げるためには、何度の角度でボールを放てばいいか”と物理学と三角関数を利用しながら必死に考えていた。
『あやね』の特徴を挙げると視点が他の人と異なるところだろう。さきほど、高校時代の思い出を述べたが、バスケの話題をしながらもプレイの話ではなく少し視点が他の人とずれている。中学の角田教頭も「『あやね』は凄いね。普通の人ならばなぜそれが正解かを考えるのに、彼女は何故それが不正解なのかを考えていたよ」と褒めていた。
そんな『あやね』だが大学4年時に就職活動で、「一社だけ受けることにして、そこに落ちたら大学院に進みます」と私は聞いていたのだが、その一社に受かったという報告を受けて驚いた。しかも、その会社が“日本銀行”だと聞いてさらに驚いた。この就職氷河期と呼ばれた時代に、「御茶ノ水と日本女子だけの説明会があったので、試しに説明を聞いたら面白そうだったから」という理由で受けたのに、内定を勝ち取ったのだ。
お茶の水女子大に進学して日本銀行に内定を決めた『あやね』の話を聞いていると、多くの人がきっと陰で懸命に努力したのだろうと想像するだろう。しかし『あやね』自身も「私ほど“努力”という言葉が似合わない人っていないですよね。」というし、私もその言葉に迷わず頷いてしまう。
では、何故『あやね』がここまでの成果を上げることができたのか。それは『あやね』が私に語ったこの2つの言葉に凝縮されている。「放課後はバスケに専念したいので勉強は出来る限り授業中に理解できるように集中して聞いています。」確かに、授業後の質問が一番多いのは『あやね』だったし、質問もその内容の核心を突いていることが多い。「私は何でも合理的にできるように考えているんですよね。それを考えたり、そのために行動したりするのは努力とは呼ばないと思います。」例えるならば、ゲームなどでクリアするために夢中になっているのは努力とは呼ばないということなのだろう。自分が好きだからしている行為にはあまり“努力”という言葉を使わないと思う。
『あやね』のように“努力”せずに、“楽修”することができる生徒を育てることが、今の長田の目標である。
ちなみに社会人3年目の「なつみ」は大学だけでなく会社も『あやね』と同じだったりする。
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