メダリストの言葉。1

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リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ゴマブックス
  • 発売日: 2016/10/10
  • メディア: 単行本
 この本だと柔道選手もたくさん載っているので嬉しいですね。
ということで今回の5回は柔道選手で!

(4年間)本当に苦しいことが多かった。

でも今日の日のためにあったのかなと思う。

田知本遥 (女子柔道70キロ級 金)

 

リオ五輪6日目の8月10日、柔道女子70キロ級決勝で田知本遥選手がコロンビア代表のジュリ・アルベアル選手を下し、金メダルを獲得しました。試合序盤には消極的だとして、指導を取られましたが、2分19秒に技ありを奪うとそのまま抑え込み、一本勝ち。女子の日本柔道で、リオ五輪初の金メダルとなりました。

 

田知本選手は2012年のロンドン五輪で左肘を痛めて準決勝進出ならず、7位で終わっていましたが、リオ五輪でその雪辱を果たしました。

 

「技に気持ちを全部乗せた。返されたらしょうがない。」

 

2歳上の姉、愛(めぐみ)さんに見守られながら、得意技の大外刈りを仕掛けました。最大の見せ場は2回戦。第1シードの優勝候補だったキム・ポリング選手(オランダ)戦でした。有効を先取されましたが、大外刈り2本で逆転勝ち。勢いに乗った田知本選手は、アルベアル選手との決勝も大外刈りで攻め、勝機をものに。横四方固めで抑え、一本勝ちを果たしたのです。

 

「姉でお願いします」

 

表彰式後、観客席から1人だけ試合フロアに降りられます。田知本選手は愛さんを指名し、金メダルをその首にかけました。今大会の金メダル獲得を支えたのは、何と言っても姉・愛さんとの絆でした。

 

「心臓が飛び出るかと思ったけど、本当に嬉しい」

 

姉のむせび泣く姿を見られると、田知本選手の涙もあふれ出ました。姉の姿は感情に訴えるものがありました。

 

富山県の小杉中から小杉高校、東海大を経てALSOKに入社するまで、田知本選手の歩んだ道は姉と全く同じ。78キロ超級でオリンピック出場を目指す姉の背中を追いかけてきました。2016年4月の最終選考会2大会の敗戦によって、姉は78キロ超級代表から漏れてしまいました。

 

選考に対し、田知本選手は、「なんでだめなんですか」と号泣して関係者に訴えましたが、姉は違っていました。自身の気持ちもどん底だったにも関わらず、田知本選手が迷っている姿を見て、まずいと感じ、自らの失意は封印し、幼い頃、嫌々ながあrも自宅の6畳間で組み合い、練習に励んできた原点を思い出せたと言います。

 

 

田知本選手には、この4年間に落とし穴とも言える出来事もありました。2015年2月の国際大会前、ドーピング違反成分が含まれた師範の風邪薬を服用し、出場見合わせ。ケアレスミスとして、警告処分となりました。このとき、いつも叱咤激励してくれる姉の言葉が、ひときわ厳しさを増しました。

 

「何しているんだ!やれることをやりなさい。」

 

と叱られ、目が覚めたそうです。

 

以降、田知本選手は、当時を振り返り、打ち消そうとしても湧き上がってくるネガティブな感情と戦い続けました。失意の底から持ち直し、国内予選である全日本体重別選手権ではライバルを下し、再び五輪代表の座を奪取。4月の全日本選抜体重別選手権で2年連続3度目の優勝を飾り、文句なしの代表入りを果たしたのです。7位に終わった4年前のロンドン五輪とは比べ物にならないほどの自信をつけ、満を持しての再挑戦。2度目の五輪でついに夢を実現したのでした。

 

「最高の舞台で決勝を戦えることを幸せと思った。相手の対策もしてきたけど、、自分の柔道をして終わろうと思った。最後は絶対に抑え込んで話さないつもりだった。時計は見えなかったが、自分であと何秒とと思っていた。(4年間)本当に苦しいことが多かった。でも今日の日のためにあったのかなと思う。」

 

自身の柔道における集大成を見せたい、と臨んだたちも線sんふは、最高の結果を勝ち取って姉と共にリオ五輪を戦い終えたのでした。

 

 

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