メダリストの言葉。4

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今月はこの本から!

リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ゴマブックス
  • 発売日: 2016/10/10
  • メディア: 単行本
 この本だと柔道選手もたくさん載っているので嬉しいですね。
ということで今回の5回は柔道選手で!

 

金メダルで

人々の傷ついた心を元気にできるんだ

という想いが、私を選手として強くしていると思う。

 

マイリンダ ケルメンディ(女子柔道52キロ級 金)

 

リオ五輪の柔道女子52キロ級で金メダルを獲得したコソボ代表のマイリンダ・ケルメンディ 選手は、五輪初参加の同国に最初のメダルをもたらしました。

 

「自分、コーチ、国にとってとても幸せな瞬間。夢が叶ったのよ」

 

ケルメンディ選手は、五輪に初めて参加したコソボに初のメダル、それも金メダルをもたら せたことを誇らしげに振り返りました。 バルカン半島の旧ユーゴスラビア最後の独立国コソボ。コソボではセルビアからの独立を求 めて1990年代に激しい紛争が起きました。

 

彼女の出身地·ペヤも戦場でした。幼かったケ ルメンディ選手にも戦争の記憶がかすかに残っています。 「夜、寝ていると爆発の音や、兵士が叫ぶ声、家を焼く音が聞こえてきた。家族が兵士に連れ 去られそうになったこともあった」 一家は無事でしたが、大切な人を多く失った友人もいます。

 

柔道を始めたのはコソボ紛争が終結した1999年, 8歳のとき。人口約10万人の町ペヤ の自宅近くの道場「IPPON」を、姉に誘われて訪れたことがきっかけでした。ケルメンディ選手は「もの静かだった自分がまるで別人みたいに強くなった気分に なれる」と、この競技にのめり込み、才能を開花させていきます。国を代表するアスリートに成長した今、五輪での金メダル獲得は、柔道家として試合に勝つこと以上の意味があるのを自負しています。

 

2008年の、コソボ独立の翌年に行われた世界ジュニア選手権で優勝して頭角を現しましたが、当時コソボは国際オリンピック 委員会(IOC)から加盟を承認されていませんでした。前回のロンドン五輪は市民権を持つ隣国 アルバニアの代表として出場しました。

 

2009年の世界ジュニア選手権優勝後に帰国した際、「戦争のときから、いいことは何ひとつなかったけれど、優勝の一報はうれしかった。戦争で多くを失った悲しみを忘れさせてくれた」  と町の人から言われたのが印象深かったと言います。「戦争をする国で生まれて、戦争の中で生 活 していた」。

 

ロンドン五輪では、みんなの声援が身にしみましたが、プレッシャーにもなって 3回戦で敗退, 9位に終わりました。その後、3カ月ほど落ち込みましたが、しかし、柔道の ある人生を楽しみ,畳の上で全力を尽くそうと考えを改めました。「それからはすべてがよい方 向に向かい始めた」と言います。 そして2013年, 2014年の世界選手権で連覇。今年2月上旬のグランドスラム·パリ でも優勝し、本物の強さを見せつけました。

 

5日の開会式には旗手として念願の母国,コソボの国旗を手にスタジアムを入場行進しまし 「歴史的な瞬間だった」と声を詰まらせたその2日後には、競技会場に初めて国歌を流して 新たな歴史を書き加えたのです。

 

日本の中村美里選手との準決勝を1つの指導の差で制し、迎えた決勝。畳に手を当て祈る ようにしてから臨むと開始29秒,得意の内股で有効を奪って勝利しました。表彰式では、表彰 台の一番高い所で涙を何度も拭っていました。 「たとえ紛争を経験しても,願いは叶えられる。多くの問題を抱え、小さくて貧しい国にいる としても,五輪のチャンピオンになるような大きなことができる。そう子どもたちに伝えたい」 「IPPON 」のオーナーでコーチのドリトークカさんも思いは同じ。 「今でも、この新しい国は戦争や経済の低迷など暗いイメージが強い。五輪で勝って、スポーツ 分野での成功という明るいニュースを届けたい」 国を背負った五輪の後は、「IPPON」で子どもたちに柔道を教えつつ、2020年の東京 五輪を目指します。

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