昨日も紹介した、この本
長田が好きな言葉に
困難の無い人生は無難な人生
困難の有る人生は有難い人生
とか
気付くのに遅すぎることはない
改めるのに遅すぎることもない
とかあるけど、これは当然ながら対句である。
実は、こうやって人を感動させる言葉には対句や韻を踏む、比喩など
国語の授業で習っている技法が用いられているんだということを
今更ながらに教えてもらった。
また、長田がこうやってコラムを書いているときに長田の言葉で言わせてもらうと
「文章の神様が舞い降りてきた!」
ような、閃きが起こるのだが、
(昨年の卒業文集の「与える人になりなさい」とか「努力の反対は夢中」とかがそんな感じ)
これも自分が自分と対話することで考えがまとまるからだそうだ。
なるほどね~~
つまり、言葉がうまく使えない人は
自分自身も含めて対話量が少ないんだよ。
もしくは、大人が子供の曖昧な言葉を拾いすぎなんだよ。
もっと我慢して自分で考えさせて(自分と対話させて)
大人が下に降りて忖度するのではなくて、きちんと明確に伝える練習をしなくてはいけないんだなって思う。
だから、(何がだからかなのかは分からない)
以前、小室先生の技の分解や北野武監督の因数分解に結構衝撃を受けたのだけど
あれって相手に伝えるためにどうやればいいのかを工夫して試行錯誤した結果なんだなって思った。
そういう意識を持って授業をすることによって長田も言葉の使い方が分かってきた。
最近だと、確率の漸化式はゴールから考えるんだなっていうこと。
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