最近と言っても、ここ数年の話だが、
長田は聞くことと話すことををかなり意識している。
聴くとは相手の言葉に耳を傾けること。
言い方変えれば、その人の本質を見ること。
言葉の裏にある本当のメッセージに耳を傾けることである。
例えば、「勉強したくない」
この言葉の裏にある
「遊びたい」なのか
「暗記したくない」なのか
「飽きた」なのか
「何で勉強しなければいけないのか?」なのか
「褒めて!」なのか
「眠い」なのか
これを聴きとるように努めている。
こういうのは表情を見ながら考えないといけないし、
赤ん坊を育てている親なんかは見抜けるんだろうな~って思う。
そう思いながらも、子供が成長するにつれて、
子供の言葉だけで判断している保護者も多いな~と思ったり。
さて、話すこと。
どこまで話すかを結構悩む。
相手の知りたいことを全部話すのか?
少しは自分で考えさせるために余白を作るのか?
そもそもほったらかしでのいいのか?
もしかして相手を傷つけていないか。
分かりやすく伝えすぎて
考える力を奪ってはいけないし、
かといって悩ませたら飽きちゃうだろうし。
自分の言葉で言い過ぎて相手が嫌がるかな?とか
日頃何気なく使っているけど、
何気なく使っているからこそ、
それが文化になるっていうことを考えると、
一番心配りしなければいけないのは言語なのだろう。
聴くことと話すこと
とても大事であり、
とっても奥が深い。
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