食で身体に栄養を!
読書で心に栄養を!
与えよう!
今月はこの本から!
この本だと野球・サッカー以外もたくさん載っているので嬉しいですね。
ということで今回の5回は水泳の選手で!
それ(1年前のケガ)があったからこそ、
こうやって最後の最後まで粘れたと思います。
萩野公介(競泳男子400m個人メドレー・金)
男子400m個人メドレーを4分6秒05の日本新記録で制し、日本においてリオ五輪の金メ ダリスト第1号となった萩野公介選手。幼少からの親友であり,ライバルである瀬戸大也選が 3位に入り、1956年のメルボルン大会にて男子200m平泳ぎの古川勝氏,吉村昌弘氏が 金と銀のワンツーフィニッシュを決めて以来、60年ぶりの日本人ダブル表彰台を果たしました。
約1年前の2015年7月フランスでの合宿中、宿舎からプールに自転車で移動中に転倒。 とっさに右手をついたときの衝撃で、ひじを骨折。右ひじ橈骨(とうこつ)頭骨折で全治2カ 月と診断された萩野選手は翌月に控えたロシアで行われる世界選手権の欠場を余儀なくされ、 「応援してくれているたくさんの方に非常に申し訳ない 。調子は上がってきただけに残念。自分の甘さと反省している」と会見しました。
その世界選手権で、金メダル獲得ならばリオ五輪 の代表が内定。その後、リオ五輪での金メダルへ突き進む計画でしたが、欠場によって五輪へ の戦略も立て直すことになりました。 それまで順風満帆だった選手人生に初めて影を落とした大ケガ。
平井伯昌ヘッドコーチから は、「骨折で世界選手権に出られないのは格好悪い。でも、瀬戸に気持ちで負けるほうがもっ と格好悪いし、いけないことだ」と諭されました。「ノーガッツ、ノーグローリー」(ガッツな くして、栄光なし)とのメッセージも送られてきたといいます。「金メダリストは負けられない。 いちばん負けてはいけないのは自分なんだ 」「弱い自分 、ありのままの自分をさらけ出せ」と平井コーチ。萩野選手 はリハビリ とともに精神面における強化にも努めました。
約5カ月ぶりの復帰戦は, 20 15年11月20日から4日間行われた東京スイミングセンター(SC)での招待公認記録会。 7種目 中6種目で見事優勝を果たしましたが、2016年1月の東京選手権にて、調整不足の瀬戸選手に辛勝。 平井コーチに「心技体の心が足りない。強く言いたい。もう許さない」と激怒される場面もありました。その後、北島康介選手と同部屋で過ごし、勝負魂を学んだ2016年3月のスペイン合宿などを経て、自身の復活を目指しまし た。
2016年4月、東京辰巳国際水泳場で開幕したリオ五輪の代表選考会を兼ね た第92回日本 選手権。男女の決勝計4種目が行われ、男子400m個人メドレーにおいて、萩野選手は優勝 を果たし、ようやくリオ五輪出場内定を掴みました。 紆余曲折を経て辿り着いたリオ五輪の男子400m個人メドレー。決勝前、平井コーチから 「勇気を持っていけ」と送り出されると、鋭い表情で「行ってきます」と招集所に向かったそうです。
レースは最初のバタフライで瀬戸選手がリード、萩野選手は2位。背泳ぎで萩野選手が逆転 し、平泳ぎで瀬戸選手が3位に下がってしまいました。最後の自由形で全米王者である2位の チェース,ケイリシュ選手(アメリカ)が肉薄してきましたが、萩野選手は見事逃げ切りました。 ゴールタッチすると「(瀬戸)大也、先生、家族、いろいろな人に支えられて取った金メダル。(自 分は) 1人じゃないと心の底から思えた」と語りました。 完全復活を遂げ、個人種目にて金メダルを獲得した今大会。インタビューにおいて萩野選手 は「それ(1年前のケガ)があったからこそ、こうやって最後の最後まで粘れたと思います」 と泳げない日々からの復活を振り返りました。
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