ゆうと。3

夏休みなので、卒業生のコラムでも。

折り返し地点

Appleの創設者、スティーブ・ジョブス。

私はよく好んで彼の所見を引用したりするのですが(因みに、伝記映画が11月1日に公開しますのでぜひ!)、その数ある、鋭い、示唆の富んだ所見の中の一つにこんなものがあります。

“私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て、外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て、こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。”

これはスタンフォード大学卒業式でのスピーチの一部です。

「人生最後の日だと思って毎日を生きよう」という、誰しもがどこかで一回は耳にするようなスローガンを、改めて、深く鋭く、これからの未来を担う学生たちに進言しています。(和訳付きのスピーチがYouTubeで視聴可能です。)

一体どこが「折り返し」なのでしょうか。

一日の折り返し、一年の折り返し、卒業までの折り返し、死ぬまで折り返し。

ひょっとすると、卒業の前にひょっとするやもしれませんね。

色々考え出したら止まらないものですが、いずれにせよ、自らと真摯に対峙し続け、心の赴くまま、紛れもない「私」の生を全うするつもりであります。

さて、後半戦はその集大成を!

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