報恩感謝
このテーマ。
まず、誰に(何に)宛てて書こうかと思索していましたが、特に誰かに(何かに)宛てて書こうとは思い至りませんでした。
それは、感謝の対象になり得るだろうモノゴトはこの世の老若男女、森羅万象であるということに思い至ったからです。
そして同時に、ステレオタイプのように、感謝すること=良いこと、と大人に教えられてきましたが、なぜ感謝することが良いことなのかという、そもそもの疑問が浮かんだからです。
例えば、当然のこととしても、私は両親に確かに感謝しています。
それは、赤子時分の私から(誕生から)まさに今の今までの私に、教育を施し、生かせたくれたからです。
これは単純明快です。
改めてありがとうと言いたいと思います。
ありがとうございます。(本当に!)
さぁ、そして少し趣旨の違った例を挙げると、いかがでしょう。
喧嘩別れした友人。これは多くの場合で、その友人に嫌悪を伴っている(いた)でしょう。
しかし見方を変えればこれは、「あのときのあいつとの喧嘩で俺は○○ということを学んだんだ。ありがとよ。」だとか、「あの人のお陰で、私の負の面が浮き彫りになり、それを修正するように意識付けすることで、そのとき以後の人生において、人間関係が円滑に運営できるようになった。結果、私は今まさに幸せなのだ。あのときの因果所以なのだ。ありがとう。」などと、感謝することは可能です。
さらにいえば、道端のタンポポの花。
感性が豊かな人にとっては、ときには「あぁ、なんて健気で美しいのだろう。人に踏みつけられなお、歯牙にも掛けず、かの如く、強く咲く。あぁ、タンポポよ、私は汝に助けられたかもしれない。ありがとう。」と、モノも(そこに生命が宿っていようがなかろうが)感謝の対象になり得るのです。
今私はこれを書いているうちに、全てのモノゴトに感謝してみようと思いました。合掌。
私が出会ったいままでのモノゴトに、総じて感謝を申し上げます。
ありがとうございます。
突拍子もないですかね(笑)
丁寧なようで雑というか。
ふと浮かんだ当初の疑問ですが、「感謝し合う方が、人間社会が上手く成り立つ。」とか、そんなようなことでしょうか。きっと都合がよろしいのでしょうか!
ありがとう、の一言は人が元気になる魔法のような言葉ですし!
あんまり好きじゃない昆布にもありがとう。
毎朝、電車で私たちを運ぶJRや東京メトロのみなさんありがとう。
これでいいのかなあと思いますが、これでいいと思っています。
最後になりますが、タイトルにあるのは私の中学校の校訓です。
しかし中学時代ではなく、中学を卒業した今の方が遥かにこの校訓を深く実感している気がします。
きっとまた時間が経てば、さらに深く実感するものなのだと思いますが!
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