この本を読んで思ったことだけど、 たぶん誰にでも犯罪を犯したりいじめの加害者になったりする要素があるんだなって。 それを防いでいるのが、「理性の血」であり、教育の力なんだと思う。 では、それでもそういうことがいるのは 教育の力が足りないのか? いや、心に余裕がないから、発動されるのではないか お金不足だったり、愛情不足だったり。 (教育されていない未就学児除く)
- 作者: 丹羽 宇一郎
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2019/05/30
- メディア: 新書
コラムの抜粋です。
人間は所詮、動物です。飢え死にしそうになったら、人の命を奪ってでも食べものを得ようとする本能を持っています。私はそれを「動物の血」と呼んでいます。
油断をすると、人間の中に潜む「動物の血」が騒ぎ始めます。怒り、憎しみ、暴力的な衝動を内包する「動物の血」が人間には流れていることを忘れてはいけません。
皆さんは、こんな経験はないでしょうか。歳を重ねても誰かを妬んだり恨んだりと自己中心的な他人を見て落胆しつつ、同様に成長していない自分を見て愕然とする―。
途中省略
大部分の犯罪者は、人としてやってはいけないことを頭では わかっているはずです。それでも罪を犯してしまうのは、人間は単に知識だけ、理性だけで動いているわけではないからでもあります。その意味で、道徳教育といったものは、「動物の血」が引き起こす悪のいやらしさ、醜さを身体で分かってもらう体験学習のような形で教えたほうが、よほど我々の記憶に残るものになるかもしれません。
自分に不都合なことが起きたり、他人を押しのけたり自分の利益を得ようとしたりするとき、「理性の血」は姿を現しません。
一方で「動物の血」は、常に理性の殻を破り、噴出す機会をうかがっていますから、動物になる誘惑は絶えずあるいってもいい。理性の力によって自らをコントロールするには努力が必要ですが、「動物の血」が姿を洗わずには努力は必要ありません。「理性の血」より「動物の血」のほうが、ずっと力強いです。
周りに居る人がそういう人たちを救えるんだと思う。
「縁ある人々を幸せにする」
その思いを強くした。
コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。