自立って何だ?

今月の3の日はこの本のコラムから

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)

  • 作者: 松本俊彦
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2021/08/24
  • メディア: 単行本
自立って何だ?

「依存」の反対は「自立」だという人がいます。依存症になる人は、自立できていないということでしょうか。でも、自立という言葉は、ときに「人の助けを借りずにやっていくこと」と解釈され、少々厄介です。そもそも自立って、何でしょう?

 今、みなさんが何か問題を抱えていたとします。インターネットで検索しても、本や雑誌を読み漁っても、どうしても解決できません。それでも一人でどうにかするのが自立でしょうか? 僕はそれを単なる意地っ張りだと思います。一人でどうにかできないときは、人に頼ればいいのです。知っていそうな人に聞いたり、知る方法を思いつきそうな人に尋ねたり、一緒に考えてくれそうな人に相談したり、異なる情報がいくつも出てきて迷ったら、さらに相談すればいい。そうやって人にいっぱい頼ったうえで解決策を導き出せることが本当に自立だと思います。

 「一人で考える方がいい」という人もいるでしょう。一人で考えること自体は大賛成です。僕はここまで、依存症の背景として、「孤立」という言葉を使ってきました。困ったときは頼れる人がいないのなら、それは孤立している状態です。でも、ときには人に頼るけど、ときには一人で考えたいというのなら、それは「孤独」です。孤独は、悪くないものです。それどころか、僕たちに欠かせないものです。自分を取り巻く人間関係から少し離れ、一人の時間を持ち、思索する。そして再び関係の中へ戻っていく。そうやって人との繋がりと孤独とを行き来しながら生きていくことは、知性であり教養だと思います。

 

中略

 さて、自立のことに話を戻しましょう。

 人に頼るためには、まず頼れる人を持つことです。それにしても、不思議だと思いません か? 人を傷つけるのも人なら、人を癒すのもまた人だということです。自分を傷つける人を100パーセント回避して生きていくことは難しい。だから、人とのつながりを普段から持っておくことが重要です。傷つけられたとき、一番近くにあるのが、薬物やゲームなのかそれとも話を聞いてくれる人なのか。このことが、依存症になるかならないかの分岐点となります。

 頼れる人は複数いたほうがいい。ものすごく頼りになる人だとしても、一人の人にしがみつくのは危険です。その人が倒れたり、その人に放り出されたりしたとき、たちまち孤立してしまいますから。親、親戚、先生、スクールカウンセラー、先輩、同じ学校の友達、違う学校の友達、趣味で繋がった友達など、できるだけ範囲を広げておくのがいいと思います。ただ、安心して頼れる人と、そうでない人がいます。どんなときも変わらぬ態度で、対等な立場で話を聞いてくれる人ならおそらく大丈夫。わからないときはじりじりと近づいて、違うと思ったらすぐ引き返す。行けると思ったらもう一歩近づく。こんなふうに段階を踏んで見極めたいところです。

 2015年、イギリスの作家でジャーナリストのジョハン・ハリさんが、依存症について素晴らしいスピーチをしました。大切な人が薬物依存症に苦しんでいたのをきっかけに、ジャーナリストの視点から「人はなぜ依存症になるのか」を追究した人です。彼はスピーチの締めくくりに「依存(アディクション)の反対は、シラフではなく、つながり(コネクション)だ」と主張しています。とても鋭い指摘です。

 また、僕が尊敬する小児科医の熊谷晋一郎は、こんなことをいっています。「自立とは依存先を増やすことである」と。熊谷先生は、生後まもなく脳性まひで手足が不自由になり、電動いすにのって小児科医として活躍しています。熊谷先生の言葉を聞いたとき、僕はハッとさせられました。

 一人で歯を食いしばってがんばることが自立ではないのです。誰にも頼らず生きていける人などいません。頼れる人をどんどん増やして、その助けを借りながら生きていくことが自立です。たくさんの人に依存することこそ、依存症にならないための、また依存症から立ち直るための最善の策なのです。

 

私はこれを読みながら「勉強ができなくなる筋道」が見えました。勉強ができなくなったときに、子どもが陥りやすいのが「自分で頑張る」という行為です。

私も家庭教師を雇ってほしくない一心で同じようなことを言ったことがあります。だけど、一人で頑張っても成績が上がらなくて……。家庭教師に教えてもらうことで一気に偏差値が上がったのは今でもよく覚えています。

勉強ができないという事実が恥ずかしいのか、人に頼ることが恥ずかしいのか、もしかしたらその両方なのかもしれませんが、そうやって人に頼れない状態から段々と違った方向に進み、変なものに依存していくってことがあるなって思いました。

 

学校って小学校くらいまでならかけっこが速い人とか、背の高い人がヒーローだったりしますが、中学高校になると成績が良い人が英雄になったりします。まぁ、必ずしもそうだとは思いません(格好いい、可愛いが一番だと思います)が、それでも楽修ができない人は段々とドロップアウトしていきます。

小学校、中学校なら1人でなんとか頑張れるんですけどね、楽修も。

実は学生時代に学ぶべきことの1つは人に頼りながら頑張るという経験かもしれません。

 

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