見せしめの逆効果

今月はこちらの本のコラムから

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)

世界一やさしい依存症入門; やめられないのは誰かのせい? (14歳の世渡り術)

  • 作者: 松本俊彦
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2021/08/24
  • メディア: 単行本

見せしめの逆効果

ある有名人が違法薬物を使った疑いで逮捕されたとしましょう。

その人を乗せた護送車(警察が容疑者を移動させるための車)がノロノロと警察署へ向かいます。何十人ものマスコミが一斉に車を取り囲み、激しいフラッシュの嵐。護送車のカーテンはなぜか都合よく開いていて、無数のレンズがカーテンの隙間からその人の表情をとらえます。

マスコミの追跡は、その後も続きます。その人が拘置所からでるときは、出口のところで、再びフラッシュの嵐。深々と頭を下げ、謝罪することになります。それが全国に放送されると、頭の下げ方がどうとか、服装がどうとか言われます。その人が車に乗り込むと、今度はカーチェイスです。何台もの車があとをつけ、あげくヘリコプターまで登場することもあります。家族への影響や近所の迷惑を考えて、その人は家へ帰ることをあきらめるしかありません。しばらくはホテルで暮らすことになります。

まだ終わりません。ますこみは年老いたその人の親にマイクを向け、親にも謝罪を要求します。たいして仲良くなかった地元の同級生たちにまでインタビューをして、古い写真をかき集めます。そうやって手に入れた断片的な情報をつなぎ合わせ、あたかも見てきたようなストーリーに仕立てたところで、「〇〇〇〇の心の闇」などといったタイトルをつけて記事にします。

マスコミの影は、執行猶予中(有罪判決後、形の実行を猶予される期間)も消えることはありません。治療の現場にすら、ちらつきます。どこからかその人の診察日を聞きつけて、その日になるとマスコミが病院へ殺到します。逮捕から数年が経ち、回復への道を歩み始めてからも、同じようなことがあるたびに当時のことを蒸し返され、逮捕当時の映像が流れます。

 

これは架空の話です。だけど、よくある話です。みなさんもニュースやワイドショーでこれにそっくりのスクープ劇を目にしたことがあるのではないでしょうか。しかも一度や二度ではなく、何度となく。

 

さて、みなさんに質問です。この本をここまで読んできた皆さんは、このスクープ劇をどう思いますか? 以前なら、「法律に違反したんだからしょうがないよね」と思ったかもしれません。でも、依存症の背景に何があるのかを知った今、一連の報道の在り方に違和感を覚える人もいるのではないでしょうか。

 

法律で禁じられた薬物を使ったことは、決していいことではありません。法の定めである以上、それを犯せば逮捕されるのは仕方のないことです。そうはいっても、日本中を震撼させた大量殺人事件や、国の仕組みを揺るがすような大物政治家の汚職事件などとはわけが違います。ここまで辱めて、さらし者にする必要があるのでしょうか。例えば、護送車のカーテンは通常はプライバシー保護のために閉じられているはずのものです。それが「どうぞ撮ってください」と言わんばかりに開けられているのは、どうにも不自然です。追いかけまわされて家へ帰れなければ、心も体も休まりません。ろくに知りもしない人に自分の過去を勝手にストーリー化されるこも、耐えがたいことです。ましてや、治療中に騒がれることはせっかくの回復を遠ざけてしまいます。派手に報道されればされるほど、本人だけでなく、家族も肩身の狭い思いをすることでしょう。ここまでするのは、過剰な「見せしめ」でしかないように思うのです。

 

また、こうした報道があるたび、コメンテーターがよく口にする「自己責任」という言葉にもひっかかります。この言葉には「自分のことは自分で何とかしろ」「人様に迷惑をかけるな」という精神論のようなものが含まれます。だけど、依存症になる人の多くが、悩みや苦しみ、心の痛みを抱えています。その背景には、過去のいじめや虐待、極度のプレッシャーや居場所のなさ、ひいては人間関係の歪みなど、本人にはどうすることもできなかった問題が横たわっています。これをすべて自己責任という言葉で片付けようとする社会ってどうなんでしょう?

 

マスコミは「報道することで、新たな薬物乱用を未然に防ぐことになる」というロジックで自分たちを正当化します。しかしながら、僕の立場から見れば、こうした過剰な報道は明らかに依存症からの回復を目指す人の足を引っ張るものです。

 

1つは、報道の中で必ずといっていいほど使われる、薬物のイメージカットによる影響です。覚せい剤の白い粉だとか、注射器だとか、煙を吸っているような人影だとか。こうした映像は、回復の邪魔になります。慎重に、慎重に、トリガーを避けて暮らしている人を刺激して脳に刻み込まれた薬物への欲求を呼び起こしてしまうのです。もう1つは回復を目指している人への心への影響です。病院や自助グループに通いながら頑張っているときに、かつての自分のような人が袋叩きされているのを目にしたら、どんなふうに感じるでしょうか。「やっぱり世間は自分たちをこんなふうに見ているのか」「回復したところで、もう居場所はない」と心を閉ざしてしまいます。結果、未然に防ぐどころか、依存症から立ち直ろうとしている人たちを逆戻りさせてしまうのです。

 

 

 

まぁ、視聴者がそういう映像を求めているからでしょうけど、この人たちも被害者ですよね。もっとお互いに支援し合える世の中にしていかないといけないなぁって感じました。

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