経験型

15年程前から私は暗記型と思考型の指導を始めるようになって、生徒からも色々と楽修方法を聞くようになり、様々な楽修タイプを知ることができた。そこで感じたのは思考型や暗記型よりも肝心なのは「なんとなく型」つまり「経験型」だと感じるようになった。

 

 

以前の進路通信でも書いたが、面白いことに、歴史という科目は苦手な人ほど「暗記する量が多くて大変です」といい、得意な人ほど「歴史は暗記科目じゃないですよ」という(たまに例外もいる)。それは、歴史を授業で習う前の経験値が物語っている。面談で歴史が得意な生徒にその理由を聞くと「親の影響で昔から大河ドラマを見ていました」とか「親が歴史好きなので、よく第二次世界大戦の話を聞かされたり、京都に旅行すると、一所懸命、お寺などの説明をしてくれるんです」と言ったエピソードを聞かされる。「ヘタリ アというマンガが面白くて世界史が楽しいんです」と理由を述べる生徒もいた。

 

 

中学時代毎日のようにラジオ英語を聞いていたOGがいた。修学旅行で彼女のスピーチを聞いていたが、本当に綺麗というか滑らかというか感動した。やはり、毎日聞くと自然と身につくのだろう。このOGを含めて、帰国子女の生徒は、英語の文法問題を解けるが、それをクラスメイトに教えることができない、というケースが多い。それは日常で使っているからであり、「理由」を考えたことが無いからだろう。私たち日本人も日本語を話すときに文法を考えながら話すことはない。今まで使った経験で処理をするのだ。

 

 

頭の良い生徒には、かなりの割合でこういうタイプがいる。長田はそういう思考型でも暗記型でもない楽修型を「なんとなく型」と読んでいたが、今こうやって書いていて「経験型」と命名しようと思った。

 

 

数学が好きな子の多くは、そろばん(今はいないか……)や数独で育ったのではないだろうか? 私は電車の切符(これも死語になりそうだ……)の4つの数をどうやって10にするかにはまっていた。他にも私は家族で「さんずいの漢字をいくつ書けるか」や、「『かん』と読める漢字を書け」という勝負をしながら、漢字の成り立ちを覚えていった。

 

 

成績が良い生徒というのは当然ながら楽修量が多い。しかし、それは机に向かって教科書を読んだり、問題集を解くことだけを指しているわけではない。日頃からその科目に関連したことに触れて考える時間も大切だ。国語が得意な生徒に読書家が多いように。

 

好きこそものの上手なれ。

 

形に捉われず経験する時間や量を増やすことが上達する秘訣だ。

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