「やればできる」の種を育てたい

(ここ最近の3の日のコラムは学級通信、学年通信に掲載しているコラムです。)

 

9年前に修学旅行でシンガポールを訪れたときに、バスガイドのリサリサさんが「シンガポールは素晴らしい国だが、それと同時に歴史に根差した文化がない国だ。それをバスガイドとして観光客に伝えていくのが私の使命だ」と言っていたのが、すごく印象に残っている。

自分は数学を教えることによって生徒に何を伝えたいのか考えた時に出てきたのが、「やればできる」ことを教えたいだった。数学という教科の楽しさの1つに解ける喜びがあるが、解けない人にとってはつまらないものだ。将来何の役に立つのかもわかりにくいし、何故、この解き方をすると正解が求められるのかも理解しにくい。数学を嫌いな生徒にとっては、授業は苦痛以外のなにものでもないだろう。そういう生徒に数学を分かりやすく 教えて、解けるようにしてあげて、「なんだ、やればできるじゃん。」を伝えたいと思うようになった。

この学年通信も同様で、誰にでもできることを誰にもできないほど継続することが人を感動させる力になるということ、それを皆に伝えたいために100号を超えるように更新している一面もある。思い描いて、それを実現するために努力出来たら、たいていのものは実現できるのだ。もちろん、その過程は過酷で何度も心折れることがあるけれど、そこで諦めずに継続すれば実現できるし、仮に実現できなくても、他に何か大きなものが手に入ることを教えてあげたい。

 

だからこそ、私は生徒の伴走者として叱咤激励しながら一緒に高校卒業のゴールテープを切りたいと考えている。右は前回の学年通信第004号に掲載した勉強が嫌いな生徒の卒業文集のコラムだ。卒業してから3年後の一昨年の3月に偶然発見した。集中力が欠如していて本当に何度も「先生、なんで勉強しないといけないんですか?」と質問してきた。

この卒業生の文集を読んで「やればできる」の種を育てることに成功したんだなと思って、ちょっと泣きそうになった。こういうことを書くと保護者から「先生、うちの子にやる気の種はあるのでしょうか?」とたまに聞かれるのだが、基本的に皆持っている。ただ、土壌に埋もれていて、まだ発芽出きていない状態である。まずは芽を出させるところからスタートさせないといけない。そのために大事なこと。京都にある公立堀川高校の校長先生だった荒川克己氏の本に

草木は光を浴びて育つ 

人は言葉を浴びて育つ

とあった。まずは教員・保護者・友人からの言葉がけから意識しないといけないだろう。また、この言葉に刺激を受けて自分で作った言葉なのだが、

草花には水を注げ 

人には情熱を注げ

情熱は金属の熱伝導のように人に伝わる。やる気の種を発芽させるには、縁ある人々が情熱を注いでいかないといけない。まずはここから

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