1つの道を極めた人の言葉はどんな世界でも通用する。
長田も頑張って極めたい。
- 作者: 鴻上尚史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2022/07/21
- メディア: Kindle版
まえがきを少し。
演劇の演出家は、人間と付き合うのが仕事です。つまりはずっと「人間ってなんだ」と考え続けているのです。
まったく理解できない行動を取る俳優やスタッフに対して、「どうしてあんなことをするんだろう」「何を考えているんだろう」と相手の立場に立って考える訓練をずっとしてきました。
それは「道徳」とか「優しさ」に話ではなく、そうしないと仕事ができないからです。なんとか演劇という共同作業をするためには、相手を愛するとか好きになるとかではなく、相手の立場を理解することが必要だからです。
それはつまり、相手の「事情」を理解するということです。僕は演出家としてずっと「どんな人にも事情がある」と思って仕事をしています。同情するかどうかは別にして、その「事情」を知ることが、共に仕事をするためには必要不可欠なのです。
それがようやく言葉になったのが「シンパシー(sympathy)」と「エンパシー(empathy)」の違いでした。
シンパシーは「同情心」です。「シンデレラはずっと奴隷のように働かされて可哀そうだなあ」という同情する心です。思いやりとか慈しみの心です。
エンパシーは「相手の立場に立てる能力」です。エンパシーは今、「共感力」なんて訳されたりしていますが、これだと誤解される可能性があると僕は思っています。
「シンデレラの継母はどうしてあんなにひどいことをシンデレラにしたんだろう?」と考え、「ひょっとしたら~という理由だろうか」と考えられる能力が「エンパシー」です。つまり、シンデレラの継母に、一切、感情移入する必要はないのです。
「シンデレラの継母は、全く好きになれない」という前提で、つまり共感はしないけど、その理由を考えるのです。
ひょっとしたら、再婚前、二人の娘を連れたシングルマザーの時代に経済的にすごく苦しくて、性格が歪んでしまったんだろうか。
シンデレラの父親がすでに死んでいるのか、甲斐性なしの父親が生きているというどちらの設定でも、再婚してやっと経済的に安心できると思ったのに、苦労が続くので、その怒りをシンデレラにぶつけたのだろうか。
それとも、実の娘二人の容姿とシンデレラの容姿の違いをよく分かっていて、美しいシンデレラを邪魔だと思ったのだろうか。だから、お城の舞踏会にも絶対に連れて行かなかったのだろうか。
この前、『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)という本で対談した工藤勇一校長が勤める横浜創英中学校で、この質問を中学1年生にしました。
ある女子生徒が「一人、除け者をつくると集団はまとまるので、継母はシンデレラをいじめることで、二人の娘との家族のまとまりをつくりたかったんじゃないでしょうか」と答えました。思わず、唸りました。
これを読んで、自分はエンパシーが強いなって思いました。良い言葉を教えてもらいました。そんな気付きを与えてくれる本です。ちょっとエロい人ですが、(まぁ、SPAの連載をまとめたものですから・・・)面白いです。
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