質問をしない

(学年通信のコラムをそのまま掲載しています)

4組~7組の生徒は既に知っていることだが、私は授業中に特定の生徒しか当てない。授業アンケートなどで、周囲の人が「可哀そうです」と書くのだが、「じゃあ、あなたも当たる?」と聞くと誰も当ててほしくない素振りをする。

私が特定の人しか当てないのは「当てられるとフリーズする」とか「間違えたら怒られるのが恐怖」といった小中学時代のトラウマが本人や保護者から報告されるからである。間違って当てないように最初の授業で「当てても大丈夫」な人を聞いてから当てるようにしている。ちなみに5月まで生徒会 長を務めていた生徒を1年の時に担任していたが、このときは何も聞かずに普通に当てている。いや、授業中の質問の量が半端なくて、「これで質問されるのが嫌です」なんていうわけないと思ったので。

さて、これも5組~7組の生徒なら知っている話だが、当てられた生徒は中間テストの成績が軒並み良かった(4組は中間テストまで希望者がいなかったので、列ごとに当てていた)。この3クラスは内進クラスということもあって、中学校時代の先生に点数を伝えたがものすごく驚いていた。

別に長田の教え方が上手だという話ではない。授業中当てられることによって、授業に集中して参加できるのだから成績が上がるのは当然だという話だ。もちろん、私が質問を投げかけて意味不明な返答をすると、「えっ、どういう意味? ちょっと言っていることが分かんないんだけど」と突っ込まれることもある。ただ、そういうコミュニケーションを図ることによって自分が何を理解できていないのかを確認することができる。

そう、1人で一所懸命に楽修していても、必ず成績が向上するわけではない。1人で楽修して成績を上げられるのは本を読める生徒である。結局のところ語彙力が不足しているのできちんと理解できていない。だからテストで高得点を獲得できていない。よってそういう生徒の場合、先生やクラスメイトに質問をしながら、自分が何を誤解しているのか確認する必要があるのだ。4組~7組には「私が前で説明しているときは静かに話を聞きなさい。だけど、問題を解いているときはどんどん周囲の人と答え合わせをするなり、質問をしなさい」と伝えているのもそういうことが効果を発揮するとわかっているからだ。

それでも、苦手な人は間違いを言ったら笑われるのが嫌なのか、全く理解できていないことが恥ずかしいのか、誰にも話しかけずに一人で静かにしているケースが多い。まぁ、恥ずかしい思いをするくらいなら成績が悪くてもいいと決断を下しているのだから仕方のないことだが、それでいいのかなとは疑問に思う。

日頃当たっている人は、数分後に当てられるのが分かっているからきちんと周囲に確認して返答する準備をしている。つまり授業にきちんと参加しているかどうかが成績向上の鍵なのだ。

成績を上げたければもっと授業中に質問や相談などの発言をするべきだ。誤解したまま授業を進めても伝言ゲームのようにさらなる誤解を生みだし理 解することがさらに困難になる。恥ずかしがらずに勇気を出したほうが成績が向上するのだ。失敗を恐れずに挑戦することで良い点数を獲得するのだ。

今、私が面倒を見ている柔道部員には次のステージとして、先生に質問をするように仕向けている。「ある程度語彙力が上がってきたから成績も上がってきたけど、これからもっと成績を上げるためには質問をすることが大切だ。ただ、『この問題が分からないので教えてください』ではなく、自分が解いたものを見せながら『僕は~って考えたんですけど答えが合わないです。どこが違うんですか』と質問するんだ。結局、解けない問題を自分で必死に考えたって解けないんだから時間の無駄だよ」と伝えた。これを実際に行うかどうか、その部員次第なのだが人に頼ることも覚えた方がいい。

どうも生徒の動向を観察していると授業はノートをとるものと勘違いしている生徒が多い。そして楽修とは1人でするものだと誤解している生徒も多い。もしも1人でするなら学校に来なくてもいいのではないか。なんで皆は塾や予備校に通って受験対策をするのか。それはたくさんの知識を持っている人から学ぶためである。だったらもっと先生に質問をしてクラスメイトと切磋琢磨していくべきである。

コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。