学び続ける

(学年通信で書いたコラムを加筆したものです)

私の座右の銘は

学ぶことを止めるならば

教えることを辞めなければならない

である。この言葉は元サッカーフランス代表の監督だったロジェ・ルメール氏の言葉だ。

 

 

数学の先生として教科書に書いてある内容を教えている。それこそ、自身が高校時代に学んだことを教え直しているわけだが、時代は常に変化していて、「データと分析」という単元が10年前から加わったり、ここ数年では確率の分野でも「条件付き確率」や「原因の確率」など新しい内容が加わっている。これは時代の進化によって皆が学ぶ必要があると国が判断したことによるものだ。これは他教科でも同様で、決して保護者の代と同じ内容を学んでいるわけではない。だからこそ、教員としてというよりは大人として、常に学び続ける必要がある。

 

よく生徒は「なんで古典や歴史を学ぶ必要があるんだ。」という。まぁ、気持ちが分からなくはないが、それは温故知新であって、過去の経験から未来を覗くためである。知識と知識を繋ぎ合わせて知恵となる。いくつかの知恵を編み出したものが経験となる。その経験を引き継いでいったものが伝統であり文化なのだ。何事にも理由はあるものだ。

 

よく保護者が「きちんと勉強しなさい」と発言する。「お母さん(お父さん)は学生時代そんなに勉強していたの?」と反論することはなくても、そのような思いを持っている生徒もいるだろう。まぁ、保護者でも勉強していないケースはあるだろうが、それでも「やらなかったことを後悔」しての発言かもしれないし、相手の想いを感じ取る必要はある。

 

 

たぶん、高校生時代では、学ぶ理由も分からないので、目先の興味あることに自分の時間を費やしていくのだろう。それは新年度当初のオリエンテーションの言葉を用いれば野性が理性を上回っているということだ。学ばなければいけない理由は学び続けることで理解できるので、是非騙されたと思って、あと数年間は学びを大切にしてほしい。

 

 

私は年間200冊を目標に読書している。「よく、そんなに本を読めますね?」と言われるが、まぁ、全ての本を一字一句きちんと読んでいるわけで はないし、流し読みの本も多々ある。それでも、小説を読むことによって他人の感情を学ぶことはできるし、新書を読むことで現代の情勢を学ぶことができる。スポーツの一流選手の本を読めば、「上達する道はどの分野でも同じんなんだな」と文武一道の精神を理解することができる。正直なところ、今更、読書の習慣をなくすことはできない。

 

50歳を超えて、まだプロサッカー選手として活躍している三浦知良選手の本にこんな言葉があった。

 

学ばない者は人のせいにする。

自分に何が足りないかを考えないから。

 

 

学びつつある者は自分のせいにする。

自分に何が足りないかを知っているから。

 

 

学ぶことを知っている者はだれのせいにもしない。

僕は学び続ける人間でありたい。

 

 

私はこの言葉にとても共感できる。数年前から「結局、みんな一所懸命に頑張っているだけなんだ」と悟ったからだ。

 

 

長田祐治もいつまでも学び続ける人間でありたい。というか学ぶことを止めるときは教師の職を辞めるときだと肝に銘じて教師生活を頑張っている。

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