与える人になりなさい。

以前どこかで掲載していますが、

結構時間が経っているのと、

学年通信に掲載したので、改めて。

 

与える人になりなさい

(4年前の卒業文集に書いたコラムです。)

君達の2つ上に「ゆういち(仮名)」という先輩がいる。この生徒の中学校の柔道部顧問と知り合いで「あいつは凧だから糸を手から放さないでくれ」と頼まれたので、進級できるように懸命に叱って、推薦入試でも二人三脚で合格を勝ち取った。まぁ正直、自分に優しすぎて、すぐに周囲に流される生徒だった。その「ゆういち」が正月に学校に来て「これから自転車で日本一周に行きます」と宣言した。たぶん「頑張れよ」とか激励をしてほしかったのだと思うが、長田の感想は

「あっ、凧の糸を手放しちゃった」

 

である。別に大学を卒業してからでも・・・。まぁ、上手く伝えられなかったので、「無理だよ。途中で断念するよ」といった感じで、いじりながら送り出した。

 

それから2週間後の柔道部OBの結婚式で長田が「ゆういち」に伝えたかった言葉を形にすることができた。

 

もうすぐ三十歳になろうとするOBがいた。そいつは、大学卒業したあとに進んだ就職先を辞めて新しいところで一所懸命に働いていた。久し振りに出会ったので、「どうだ、頑張っているか」と尋ねたら「はい、周りの人が本当に良くしてくれて…」と言った。不意に「お前は三十近くになって、まだ、周りの人から与えられているのか!早く周りの人に何かを与えられる人になりなさい」と言い返してしまった。

 

「与える人になりなさい」

 

これが「ゆういち」に伝えたかった言葉だ。「ゆういち」の日本一周のブログを読むと周囲の人々の優しさに感謝する言葉がいろいろと書かれているが、それは、「与えられている」ものなのだ。もちろん、「ゆういち」の日本一周で励まされる人もいるだろうし、全く与えていないとは言わない。

 

だけど、この駒込高校の三年間で長田を始めとして、色々な人から色々なものを与えられているのに、それを与え返す前に、感情という風に流されて「ゆういち」という凧はどこに流れていくんだ・・・。

 

大人と子供の違い。人によって色々な考えがあるだろうが、大人は「与える人」だと思う。今まで色々な人に支えられて生きてきた。その恩と感謝を周囲に与えることができるようにこれからも成長していきなさい。

 

与える相手は、与えられた人に対してではない。友達でも、彼氏彼女でも、自分の子供に対してでもいいのだ。もちろん一緒に働く職場の人でもいいだろう。縁ある人々に何かを与えることができるようになる、それが大人になるということだ。

 

縁有る人々にあなたのお金を与えなさい。

 

縁有る人々にあなたの時間を与えなさい。

 

縁有る人々にあなたの愛情を与えなさい。

 

縁有る人々をあなたが輝かせて幸せにしなさい。

 

 

 

それが、「一隅を照らす」ということだ。

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